いろんな人や、いろんな事柄、情報を見て、自分と比べちゃったりして。
落ち込んでしまうこと、よくありませんか?
それは年を重ねたらとか、成功したら、出世したら解消するとか、そういうものではありません。
ここ2年ほどコーチングを受け続けているクライアントさんが、ある日こう言われました。
ご感想
「よくセミナーや勉強会に行きます。
学ぶことは好きなんです。
知らないことを知るって楽しいですよね。
そしてやる気も出ます。
でも家に帰ったら、やる気がどこかへ行くんです。
そして自分のそんな気質を責めるんです。
自分ってなんてダメなやつなんだろう。
才能がないんだ。
そもそも人の上に立つ器ではないんだ。
と落ち込むんです。
そして、学んだことを忘れて『元々の日常』に戻っていってしまうんです。
コーチングをペースメーカー的に続けてきてよかったことは、それをさせてもらえなかったことです。
これまでは、学び→やる気→行動せず→自己否定→日常→新しい学び、とループばかりしていたのですが、コーチにはそれをさせてもらえなかった。
その奥を聞かれてしまった。
学び→やる気にある価値観を明確にされてしまった。
そこで気づいたのは、意識だけ高くして、行動はせず満足して、楽をするという選択肢を自分がいつもとっていたんだなぁということ。
これはある意味しんどい気づきでした。
口先だけのやる気でいい気分になるという、楽ができなくなりました(笑)
おかげで暇つぶしのように行っていた自己否定をする暇なく、行動のために思考を使うようになりました。
すると、自分がいろんなアイデアを押し殺していたことに気づきました。
そして一人で頑張ってるつもりでしたが、スタッフも実はアイデアを持っていたことに気づきました。
私は助けてくれる人の声から耳を塞いで、孤独感に酔っているだけでした。
行動と選択のスピードが上がったので、日常がどんどん変わります。
ちょっと怖いのですが、今のほうが好きです。
慣れればなんてことありません。
行動しないことに慣れていたのは、自分の選択のせいでした。
自己否定ではなく、自己陶酔の時間は・・・最近ないかもしれません。」
自分は特別にダメだ!
あー!なんでダメなんだろう。
自分はダメだ。
あれをやってもこれをやってもダメだ。
どこまでやってもダメだ。
まだまだダメだ。
人類の中で、特別にダメだ・・・。
自己否定の癖、ありますか?
私はありました。
自分をノイローゼになるまで追い込むほどに、身体に支障がでるほどまでに自分で自分を叩きまくってました。
ボッコボコです。
辛かったです。
辛かったのですが・・・今考えると、ちょっとした自作自演だったなぁと感じるんです。
人は誰でも特別でありたい
人は誰でも特別でありたいものです。
それは生存欲求からかもしれません。
生き残るためには、ちょっと特別でないと選ばれない。
太古の昔から本能に刻み込まれている呪いのようなものかもしれません。
特別にできることがなく、器用貧乏だと選ばれなくて生きていけないかも!
そんな不安からでしょうか。
自己否定、いいですよね。
特別っぽいです。
周りの中で特別にすごくなるのは難しくても、特別にダメだと思い込むのは簡単かもしれません。
特にSNSが発達したこの世の中。
成功した人が『最短で!』『最速で!』『簡単に!』なんて簡単な言葉で、本来あった試行錯誤を隠しちゃうから、なおのこと自分だけが劣っているように感じるかもしれません。
自分以外の誰かが「そんなことないよ!あなたはすごいよ!」なんて言っても「そんなことない!」と言ってしまう。
それはもはや、自己陶酔なのかもしれません。
ドラマみたいな人生を演出。
本来願う困難な道を実際に実行するよりも、お手軽に人生をドラマチックにできそうです。
でも、本当にそれでいいんでしたっけ?
何かを始めるなら『今』。遅すぎることも早すぎることもない
いつものパターン。
積み上げてきたパターン。
何十年も繰り返してきたパターン。
変えるのって怖いですよね。
怖いんですけど、「じゃあ、続けたいんですね?」と問われたらどうでしょう。
過剰なポジティブになる必要はありませんが、過剰なネガティブも必要ありません。
ただ事実だけをまっすぐに見ると、苦しい!と感じているものは変えたいのではないでしょうか。
じゃあいつよ、って・・・今しかないんですよね。
思い立った今。
3年後に
「あの時変え始めてよかったわ・・・」というのか、
「あの時始めればよかった・・・」というのか。
それはあなた次第です。
だいたいね、どうせ「ダメ」なら逆に何しちゃってもいいんじゃないかな〜。
自分を否定することに夢中になってる時に、あなたに良き評価をくれる人は少ないでしょう。
あなたが劣ってるどうこう以前に、単純に隠されていて良いところが見えにくいからです。
自分を否定することに一生懸命なのに、『何か』を探しても出てきません。
両方に頭を割くことはできません。
じゃあ、あなたの資質を、あり方を、価値観を中心に置いてみてはいかがでしょうか。
これじゃだめだ、あれじゃだめだ、を抜け出して
自分に聞いてみましょうよ。
否定の向こうで
「本当はどうありたいの?」
「本当はどうありたかったの?」
さいごに
実はこちらのご感想。
現在もコーチングを続けてくださっているクライアントさんから、1年ほど前に口頭でいただいたご感想なんです。
メモさせていただいていたものを、公開許可を頂き今回公開してみました。
(ご感想、いっぱいいただいてるのに溜まってる・・・(遠い目))
こちらのクライアントさんは経営者さんなのですが、現在その頃とは違う事業を始めています。
これまで経験したことないことの連続に、へこたれること、がっかりすること、自分を責めることは今もあるらしいのですが、自己陶酔のための自己否定はもうしないとのこと。
というか、してる余裕がないそうです。
何かで落ち込んだ時は、それはそれでその感情を大切にして。
その上で何が起こったか分析の上、プランの修正を行うとのこと。
(コーチング内でする場合もあります)
今回こちらの感想をあげるにあたって、私がまとめた感想部分をお見せしたところ
「あの頃は若かったね。よく選択したねと肩を叩いてあげてたい」とのこと。
いや、たったの1年前ですけどね。
今自分に必要なのは、何なのか。
拗ねてないで。
まっすぐに。
欲しがってみたら、何か変わるかもしれませんよ。