年末年始、実家に帰ったわけではないのですがやたらドタバタしながら駆け抜けた印象を持っている今日この頃の私です。
こんにちは。
逆子になっていたお子も無事逆さまになり、毎日私の胃を蹴り上げています。
ドコドコドコ。
今年の目標『生きる』
ドタバタしたなりに2018年を振り返ったり、出産・子育てという未知の領域に飛び込む2019年に想いを馳せたり。
以前Twitterで出産の大変さを『鮭なら死んでる』という表現をされていた人を見かけたのですが、いや、本当に。
人間も医療が発展してきているおかげで生存率は上がっていますが、命がけには変わりありません。
2019年の目標は『生きる』。
『無事にお子を産み落とす』。
これにつきます。
母子ともに無事にこの世界での生活をはじめ、ヘロヘロになりながらも、楽しんで生きていけたらいいなと思っております。
2017、2018年のテーマが『健康』だったので、今年もそれくらいの大きさで!
あなたにとって『目標』という言葉が指すものは?
年末年始のコーチングではやはり、これまでの振り返りとか、翌年の目標などをテーマにする方が多かったです。
そこで、そもそも「その人にとって『目標』という言葉は何を指すか」という話になります。
人によって言葉の理解、解釈は違います。
ある人にとっては(余計な)思考を停止して、爆走するために儲けるもの。よそ見をしないために定めるもの。
ある人にとっては、自分の指針となるもの。
ある人にとっては、今年する実験を指すもの。
ちなみに私にとっての『目標』とは、その年が終わった時の自分の物理的な状態を指します。
なので2017、2018年は、健康のレベルが上がっていればOK。
2019年に至っては、無事年末を家族で迎えられるとOKです。
目標とは別に、『意図』を設けたい
私にとっては『目標』とは、ある時点での物理的な状態を指す。
ですので、年始にあたってもう一つ。
定めておきたいものがありました。
それは『意図』。
doing、行動的な面においては今年はおそらく全てがお子次第。
細かな目標や『やりたいこと』を設定しても多分無理です。
自分の産後の身体の状態もわかりません。
でも、今年をどんな思いで過ごしていきたいか。
being、在り方、自分のスタンスを定めることはできます。
私はこれを『意図』という言葉で表現します。
ちなみに私の人生における目的・意図は『パレード』。
作り作られ、巻き込んだり巻き込まれたりしながら生きていく。
これを自分の真ん中に据えています。
そんな私の2019年をどういう意図で過ごしていきたいか。
それについて考えていたんです。
そして浮かんできたことがありました。
2019年の意図は『ちゃんと悔しがる』
2018年を振り返った時、気づいたんです。
自分なりにいろんなチャレンジをしたとは思うのですが、いかんせんそもそも準備をきっちりしたい方なので失敗が少なかった。
準備をしようと思ってできる、そんなチャレンジしかしていなかったことに気づいたんです。
気がついてみれば「あーもう!もっとがんばれたのに!」という『悔しがる』体験が圧倒的に少なかった。確実に一つ一つクリアしてきたという表現もできるのですが、なんかこれはもったいないと感じたんです。
チャレンジした幅が、望みのサイズが小さかった可能性がある。
数ヶ月つわりでひっくり返ったり、その後もお子のために活動量を減らしたから当然といったら当然です。
でもそれでも何かを望んで、そのために何かを改善する、チャレンジすることはできた。
ある程度想定の範囲内の行動で終わってしまったということに愕然としたのです。
だからこそ、2019年はもっと望みたい。
これはフリーランスあるあるなのですが、会社という大きな組織にいた時にはやったことのない仕事が降ってくることがよくあります。
向いていない仕事、苦手な仕事であることも多いことでしょう。
でもそれって、ある意味チャンスなんです。
自分ではやろうとも思わなかったこと。
それにチャレンジするからこそ見えてくることがある。気づく視点があある。
フリーランスになってから痛感するのは、自分にとってできること・得意なことに特化できる分、そういった課題が発生しにくいのです。
だって、外注できちゃうしね。
体験から気づくこと。学び。広がり。
意図していないと、いつまでも過去から変わらない・成長しない自分のままでいることができちゃうんです。
これは怖い!
本当に怖い!!!
私の強みとして、前向きなのはいいんだけど、歩幅が小さくなるのはちょっと違う。
だから、2019年はもうちょっと悔しい思いをしたい。悔しくなれる経験をしたい。
そうやって自分の幅を広げていきたいんです。
悔しがることと、後悔は違う
きっと子育てにおいては連日悔しがることができるでしょう(震)
私がしたいことは『悔しがること』。
『後悔』とは違います。
『後悔』をする時、過去を生きているといえます。
悔やんでも変わることのない過去を。
私がしたい『悔しがる』は、その過程を通して未来を見たいのです。
改善したい。望みたい。欲を持ちたい。
次回を想定して改善し、次回こそは!と思いたい。
常に昨日の自分より変わっていたいのです。
あなたは最近悔しいと思えることがありましたか?
何を足せば、何を引けば、何を変えればよかったのでしょう?
それに対して、またチャレンジしますか?
次があったらどうしますか?
さいごに
最近あまり欲がなくなっている気がしていました。
2019年はちゃんと欲張っていこう。
新しく生まれる大切なものにステキな世界を見せるためにも、自分の望みをもっと聞いていこうと思った次第。
きっと自分のことを考えてる暇がなくなるであろうからこそ!
さぁ、みなさんも心の中に小梅太夫をご召喚ください。
そして、ご唱和ください。
「チキショー!」