コーチング

編集することはgiveだと思う【コトバアソビ】


現代に情報は溢れている。
求めれば、いくらでも入ってくる。

だからストックとしての情報サイトなどでもない限り、知っている情報を垂れ流して行くのは実は誰でもできる。
朗々と語り続ければいいのだ。

きっと現代で難しいのは、語らないこと。
語りすぎないこと。

選ぶこと。
絞ること。
編集すること。

大切なことを、伝える、give

先日『ザ・サークル』という映画を試写会で見させていただいた。

あの映画はエマ・ワトソンが演じるメイが、自分の日常を公私ともに世界に全公開することから話が展開していく。
全公開だ。

現代では『全公開』が簡単にできてしまう。

だからこそ、大切なことを選ぶことの重要性が高まる。
それを選べないからこそ、「やりたいこと探し」が流行ってしまうのではないだろうか。

すべて、をもとめるのではなく、自分で選択をするということ。
腹を決めるということ。

自分らしいこと、自分を喜ばせることを選びたいのに、『潰しがきく』決定ばかり繰り返すようになる。

編集は切り取る。
多くの大事なことを切り取り、つなぎをつけ、繋いでいく。

見せたいもの全部を暴力のようにひたすら見せるのではない。
きっとそれはストーリーを作るということだ。

きっとそれは、相手のため。
情報であればなおのこと。

編集された情報はgiveだ。

大きなメディアの主義主張にかかわる編集、偏向報道などの話をここで混ぜると話がややこしくなるので、そこにはここでは触れたくない。

例えるならば、目の前にいる人との人間関係だ。

give的な行動をとっている時、本当に相手を見ているか?

あれもこれもあれもそれも
あげるあげるあげるあげる、と

どんどんプレゼントしていくとき。

そんな時はきっと、相手の顔を見ていない。

田舎に行った時に親戚から大量のナニカをもらって帰った経験がある人も多いだろう。
嬉しいことも多いが、時々「困った・・・」となっている人も見かける。

きっとそんな時、そうやってあれもこれもプレゼントしたい時。
giveしているつもりで、喜んでもらえる、感謝してもらえる、自分を重要な人間と思ってもらえるというtakeが潜んでいる。

決してこれは悪いことではない。
まったく悪いことではない。

ただ、それを自覚しているだろうか?

もしかするとgiveしてるつもりで、takeを要求していないだろうか。
相手はどんな顔をしているだろうか。

相手に喜びを渡せたらな、という純粋なgiveの気持ち。
相手に合わせて編集することで、気持ちを橋を繋いで渡してくれる。

いや、きっと
編集という行為自体が、giveなんだろう。

さいごに

映画を見ると、自分の中に一つフィルターが増えるような感覚がある。

正直、私は編集は下手くそだ。
思いついたアイデアが、すぐに口から出る。
(それか、アイデアごと忘れる)

自分の中を編集する技術は、コーチングにおいてもとても重要なポイントな気がしている。
心にしっかりと、留めておきたい。