計画をどう立てますか?とよく聞かれるんです。
私は計画はあまり立てられません。
でも、『置き石』はバンバン置いています。
なんていうんだろ。
俯瞰して、調整して、進んでるんです。ずっと。
だから多分修正が早いし、実験するのが怖くない。
例えになるかな。
京都のお寺のお庭のように玉砂利だらけのところがあったとして、そこを靴の底で踏まず進まないといけないというルールがあるとして。
でも大きな石をおいて、その上なら歩く・・・飛んで渡っていいとしたら。
そうしたらまず、行きたい方向見ますよね。
で、とりあえずそっち向きに石を置く。
飛ぶ。
でももしかすると、実は砂利の下が沼、なんてこともあるかもしれない。
『自分が知っている』常識の範囲内ならそんなことあるわけないけど、『挑戦』っていつだって『自分が知ってる』常識の範囲外。
なにがあるかわからない。
でも、もしそうだったとしても、それなら着地してすぐ戻ればいい。
どこに置けば正しいだろう。
どう置くと最短距離なんだろう、なんて考えない。
もっとうまく置けるようになったら置く、なんて考えない。
どんどん置いていく。
どんどん撒く。
慎重という言葉はどこにもない。
このやり方ならば途中で気が変わっても、予定してた方向と違うところに置き石を置くだけ。
どこからだって、いつだって、自分の行きたい方向に向きを変えられます。
基本的に俯瞰しているので、軽いシミュレーションくらいはしています。
でも、石の上に乗った時の感触、見える景色、それは先に立てた計画の時にはわからないこと。
こっち行って、あっち行って、そっち行ったら行きやすそう!
ヒョイ、ヒョイ、ヒョイ・・・あ、あれが気になるからちょっと寄り道。
ヒョイ、ヒョイ、ヒョイ。
これは目の前だけ見てる、ということとはちょっと違います。
一歩ごとに俯瞰するんです。
石自体は見ていません。
常にゴールと、世界を見る。
自分を取り巻く世界、そして自分の中の世界を見る。
そうすると、石も視界に入ってくる。
そして近づいてくるからこそわかる、ゴールの違いもあります。
もしかすると、ゴール自体も間違っているかもしれません。
それも毎回見るんです。
そして自分が石を置いてきた軌跡、そして置きやすい傾向は記録をとります。
いつもやってしまうこと、いつも無意識に避けていることを知ることはとても有効です。
そうやって、気ままに、でも望むゴールに向かう。
無計画が自由、ではなく
計画しても自由なら最高だよね。
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