最近はなんとかビジネスが流行り!なんとかビジネスで成功しよう!といういろんな宣伝を見るたびに、なんか陰鬱とした気持ちを覚えていたコーチ大下千恵(@yawn_c)です。
ビジネスって、誰か・何かの利益のためにあるものと理解していました。
ただ、その「誰か」っていうのが、なんだかお客さんのためなことよりも、経営者のためのもの・・・でいいのかなぁ。
そんな風に悶々としていたんです。
そして仕事柄「いつか何かがしたい!」と言ってる方々によく会います。
「えー、じゃあやればいいじゃん!」と言うと、「いや、自分はまだまだで」「社内の人はわかってくれなくて」・・・なんかおかしいなぁ。
自分がエネルギーを注ぎたくなることで、世界にエネルギーを注入できるなら最高じゃないか!でもそれをどう伝えればいいんだろう・・・そんなことを考えながら6月ごろに本屋をうろうろしていたんです。
すると、すごい本に出会ってしまいました。
「いつか何かを」「自分の事業をもっと自分なりのものに」と悶々と考えている方必見です!
ゆっくり、いそげ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~|影山知明
西国分寺駅にあるクルミドコーヒーの名前は前から知っていましたが、本作の著者であり店長である影山さんの経歴は知りませんでした。
な、なんと東大出身、外資系コンサルのマッキンゼー出身・・・!
経済の渦の真っ只中にいた方!
最近のお金、経営に関わる本には自己啓発的側面が色濃く出ていて、フワフワしたものも多く、これは・・・個人事業主レベルの規模用なのかしら?というものも多いですが、この「ゆっくり、いそげ」は知識・理屈と願いのバランス、過去の蓄積と未来への希望のバランスが最高によかったです。
難しい本はちょっと・・・という方にも、めちゃくちゃ読みやすく、かつ自分なりの問いを持たせる内容となっています。
興奮だけ書き綴ってもなんなので、私が気になった点3つほどご紹介させてください。
「ビジネス」って一体なんなの??
経済とは元々、中国の古典に登場する言葉で「経世済民(=世をおさめ、民をすくう)」の意であるとされる。国内でも江戸時代には使われていたようだ。言葉としては、政治や生活も含めて「社会をつくる」というニュアンスすらそこには感じられる。
それがいつからか「ビジネス」という言葉に置き換えられていった。ビジネスの由来は、bisig+ness。bisigは古い英語で、ここから派生した形容詞がbusyだから、「忙しさ」をその語源に持つことになる。時間をかけず、労力をかけず、コストをかけず、できるだけ効率よく商品・サービスを生産し、お金を稼ぐ。
「経済」は、「ビジネス」という語を経由して、気がつけば「お金儲け」の意で使われるようにさえなってきた。
対極には「スロー」を旗印としたムーブメントもある。
僕は常々、この中間がいいなと思ってきた。お金がすべてという発想に与するものではまったくないが、一方で便利さも求めたいし、贅沢だってしたいということもある。
売上や利益は、自分の仕事に対する社会からの評価だ。新しい技術やアイデアで世の中が劇的に変化していく様子にワクワクするし、競争は自分を高める貴重な機会とも考える。
私は日本語が大好きです。
なんというか、布のような質感を感じるんです。または泥臭さ。
そこが「ビジネス」という言葉になった途端、なんだか無味乾燥に。
人がいて、目の前にまた人がいて小さな社会をつくること。
商いとも呼ぶかもしれません。
そんな温度感が「ビジネス」という言葉には感じられないのです。
私はせっかちなので、即断即決余計なことを削ぐライフハック大好きなのですが、それは愛すべき「無駄な時間」を過ごすため。
速いってステキ。
でも、温度感があるものはさらにステキ。
それが両立する経済だと・・・それは最高にいいですよね。
お客さんの中に眠る「受贈者的な人格」
定期的にSNSで見かける大好きな動画があります。
ちょっと見てみてください。
これは笑顔のリレー、おすそ分けともいえるかもしれませんね。
返報性の法則という言葉を知っているでしょうか。
心理学用語なのかな?人は何かをしてもらったら、何かを返したくなる心理になる、というものです。
影山さんは著作の中で、安くするから、おまけするから来てよ的なアプローチからは「安いから行く」「得だから行く」という「消費者的な人格」を刺激してしまう。
それとは違って、「嬉しいから何かしたい!」「楽しかったから、他の人にも伝えたい!」という更なる誰かに何かのお返しをしたくなることを「受贈者的な人格」と呼んで、この人格のスイッチを押して行きたいと言われています。
もしくはお店に返ってこなかったとしても、その「受け取った」ことによる「健全な負債感」は、その人をして帰り道に路上のゴミを拾わせるかもしれないし、電車でおばあさんに席を譲る気持ちにさせるかもしれない。
つまり、「いいものを受け取る」ことは、その人を次の「贈り主」にすることなのだ。
片方の「贈る」姿勢と行動が、受け取った他方の次なる「贈る」姿勢と行動とを引き出す。「受贈者的な人格」に基づく組織作りがこうして実現する。
ここには組織と書いてあるけれども、それはお客さんと一緒に作っていく社会でも同様です。
経済活動は人気投票にも例えられます。
自分の街がチェーン店だらけになることを嘆く人もいますが、それはみんながチェーン店に行ったから。支持されているわけだから、増えてしまうのは同然です。
だからこそ、自分が支持したいものを支持する。送り合う。広がる。
受贈者的な人格同士で作る社会でいられるために、自分ができること、どんなことがあるだろう。
ゆっくり、いそげ
今は情報社会。
あれもできた方がいい、これもできた方がいいと、完璧主義な人格を刺激される要素は満載です。
でも、大企業の社長さんだって、一国の大臣だって、スーパースターだって、完璧ではありません。
自分のできることを、周りの協力を得ながらやっている。
自分でなんでもできると思うのはただのエゴです。
正しく諦めて、誰かと協力することが結果として社会を、経済を作ります。
(「正しく諦める」については、いつかブログ書きます)
お互いがお互いの持ち場を見極め、他の人の仕事の機会をつくることも経済の重要な側面だと思うし、そうした分業があるからこそ、それぞれがそれぞれの仕事を究めていけるという面もきっとある。
自分たちが本当にいい仕事をできていれば、受け手にとっての価値を実現できていれば、それは受け手の中に「健全な負債感」を生む。そしてそれに応えよう、答えなければいけないという気持ちが、直接・間接に作り手に利益をもたらす。売上や利益とは社会からの評価であり、誇っていいもの、誇るべきものだ。そしてその蓄積は、次なる価値創造に取り組むための手段ともなる。
慌てるのではなく焦るのではなく、手を抜くのではなく流れに翻弄されるのではなく、
自分にとって最高のパフォーマンスができるスピードにはきっと緩急がある。
だからこそ、この言葉が響きます。
一生懸命、時間をかけるのだ。一生懸命、手間ひまをかけるのだ。
さいごに
なぜ6月に読んだ本について突然記事を書いたのか。
実はものすごいタイミングで友人主催の神保町大学というところで、影山さんのイベントが開かれることに!
実はこの本の発売は2015年。
なぜ我らはこのタイミングで同時にこの本を手に取ったのか。
なんだか不思議。
講演会というよりは、共に作っていく場にしていきたいとのこと。
せっかくの機会。
私はものすごい勢いで参加ボタンを押しました(笑)
(注意:私は主催に関わってないので、何か質問あったら神保町大学さんにお尋ねください)
楽しみだなぁ〜。
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