英語は苦手ですが、アナと雪の女王は日本語版より英語版の方が好きなコーチ よーん(@yawn_c) です。
冬が近づいてきたせいか、ショッピングモールのディスプレイなどにまたアナと雪の女王のキャラクターをよく見るようになりました。
以前クライアントさんから「『大人だから』感情をコントロールしないといけないと思っていました。私、いろいろ感じていいんですね。」という感想をいただき、その時にこの映画の話をしたことを思いだしました。
なぜに『アナと雪の女王』の話?
なんで英語版の方が好きなのかなーと考えた時に、私が日本語版、英語版で話の主題を、特にテーマソングのLet it goについて、こう解釈している、ということに気づきました。
日本語版:ありのままでいるって大切。私は私らしく!
英語版:感情を抑えるとろくなことにならないよ。感じたのなら感じたまま!(そしてさらにそこに愛があればit’s OK!)
今年の流行語大賞は『ありのままに』なんじゃないかな
歌のタイトルもあいまって、今年は『ありのままにブーム』な気がしています。
もちろんまったく悪いことではありません。
むしろ
そりゃそうだ!それがあるがままでいるって、とっても人間らしいじゃないか!という気さえします。
ただ、一方でこんな声も増えてきている気がします。
ありのままってどのまま?私らしくって何らしく?
ありのままでいる、ということは本来自然な形のはず。
人間が人間らしく。
なんだか私はこの『らしく』がとっても邪魔をしてると思うのです。
大人らしくってなに?
よく言われませんか?
大人だから。もう子供じゃないから。
しかしそもそも大人ってなんでしょうね。
感情を抑えることができる、客観的に、冷静に、乱れることなく。
そんなことは可能なんでしょうか。
Conceal don’t feel, don’t let them know.
これはLet it goの歌詞ですが、『感じていることを隠して、誰にも知られてはいけない』。そんなことをできる人がいるのでしょうか。それが大人というのであれば、
人間どころかもはやそれは生物ではないと思います。
感情とは出すぞ!隠すぞ!と使うものではないということです。
感情は豊かに使ってこそ、『自分らしい』!
感情をコントロールするということは、感情を抑えることではありません。
感情を豊かに使うことです。
腹が立つということは、なにかが嫌なんです。悲しいんです。
そこに向き合わずに蓋をしたって,何も起こりません。むしろ始まりません。
感情を水に例えるのであれば、留めると淀みます。
そうではなく。
腹が立っているのなら、なにかが自分を刺激したのだとちゃんと感じる。
悲しいのであれば「悲しんでる場合じゃない、でもでも」なんて思わず、しっかりと悲しむ。
こんなに怒ったり悲しんだりしている自分なんてダメだ、なんて自己否定とごちゃ混ぜにしないでください。
感情は『着ないけど、もったいないから手放せない服』の様に、しっかり使わない、味わわないから手放せないのです。
しっかり自分自身の感情を感じると
不思議なことに、手放さなきゃと理性的に考えるどころか、なんだか勝手に自分の感情が次に進みたくなります。進まなきゃ、じゃなくて進みたくなるのです。
人はみな大人になろうとしている子供
私はTHE BOOMの宮澤和史さんの歌詞がすごく好きなのですが、彼らの曲『いつもと違う場所で』という曲にこんなフレーズがあります。
ジョンは言った「夢想しろ」と
国家も宗教も無いんだと
そうすれば殺し合う名目は消えてしまうとそんなの子供だましだって?
人はみな大人になろうと懸命に努力している子供だろ?
国家も宗教も、大人も子供さえもないのならあなたは何を感じるのでしょうか。
あなたは自由です。
何に対してか。
少なくとも自分に対して
自分は自由なのです。
経験を積み重ねたからこそ『感じない』ではなくて、『更に豊かに感じる』を選択できるはずです。
『人はみな大人になろうと懸命に努力している子供だろ?』
これは私の中でとても大きなテーマになっているフレーズです。
身体いっぱい喜んでください。
悲しんでください。
怒りを感じてください。
豊かな自分を感じてください。
ありのままに、ってそういうことじゃないですかね。
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