最近幸せ、幸福感について話をすることが多い。
それはコーチングセッションの最中であったり、久しぶりに会った友人との会話であったり。
あなたは楽しそうだね、幸せそうだね、と言われる。
そうだね。
楽しめて、幸せを感じられる選択肢を作って、選ぶようにしているよ、と答える。
私はそれは選べない。
何故なら何も持っていないから、と相手は言う。
何かを成すための努力は辛いから、選べない。
だから私は何も持ってないし、幸せになれるわけがないと言う。
持ち物は関係ない。
幸せは何かを成し遂げた後に感じるものではない。
楽しさと辛さと、幸せは共存できる。
何故なら幸せはプロセスだからだ。
意識が外に向いているとき、そこに幸せはない。
意識が内側に向いているとき、初めて自分が幸せを感じていることを知る。
自分の感情に幸せ、というラベルを貼れる。
何かのご褒美でわかりやすくもらえる物ではない。
海を見たいと思った時、
海に向かうために電車に乗り、バスに乗り、歩いて向かう時、
幸せなのは海を見た瞬間だけだろうか。
海に向かう最中は幸せではないのだろうか。
いや、道中は幸せとはかけ離れているというのなら、
それは自分の選択を
自分のプロセスを
あまりに軽視しているのではないのだろうか。
ちなみに私は強烈な乗り物酔いを持っているので、大体の道中は眠っている。
(寝ないと酔う)
しかし、移動の交通手段の中で眠れる、というのは他の国の治安を考えると、すごいこと。
これはこれで幸せといえる。
私たちは幸せではないのではない。
幸せに対して、あまりにも不感症になっているだけではないだろうか。
幸せになるのに、道具はいるのだろうか。
あまりにも外に意識を向けすぎて、自分を疎かにしていないだろうか。
問いはたくさん浮かぶ。
幸せについて、もっと話がしたい。