コーチの日常

電気は消すものかつけるものか問題

人の話を聞くのが大好きです。
本から仕入れられる情報は自分の理解の仕方に左右されるので、生身の人間の話、思い、信念を聞くのが大好きなのです。

なので人に全力で好奇心を向ける事をお仕事としているコーチ大下千恵(@yawn_c)です。

人間は違いがあるからこそおもしろい。

先日、本を読もうと近所のミスタードーナツへ。
そこで隣の人が話していた話から私の好奇心が動き出しました。

「旦那が何度言っても電気を消さない!」

隣に座ったマダム同士が憤慨しながら盛り上がっていました。
お二人とも旦那さん、息子さんが電気を消さない様子。

その時は、あ〜うちも時々お風呂の電気つけっぱなしだな、くらいの関心だったのですが、

なにかひっかかって、気になった事って、アンテナ立っちゃいません?

やたらと耳にするようになったり。
赤!と言われたら赤い物ばかりが目に入ってくる、カラーバス効果というものです。

興味関心を持つと、その情報を無意識に拾いまくるものなのです。

と、いうわけで『旦那が電気を消さない』の話をよく耳にするようになってしまいました。

一応私が女性なので、そもそも話す人(分母)に女性が多いのか?
いや、そうでもない。むしろ男性の方が多い。

じゃあ男女の違い?思考の流れ?脳科学的なもの?なんて思いつつ、Googleさんで『電気を消さない』と検索してみると、怒れる奥様方がたくさん(震)

実際どうなのか、聞きたい!

何ごとでも自分勝手に仮説をたてて思い込むと、視野が狭くなります。
なので仮説を立てて、人の意見を聞きたくなりました。

私が思いついたのは3つ。

1.男女の行動パターン(重要視するもの)の違い
2.男女のネットへの書き込み、もしくは発言の違い
3.男女は関係なく、なにかの習慣の違い

そんな事を考えながら、自由な意見が聞きたかったのでこんな風にFacebookで投げかけてみました。

『不思議で不思議で不思議でしかたないんだけど

「男性(特に既婚の男性)が電気を消さない」問題は
一体どういうメカニズムなの?

あんまりにもよく耳にするわりに、逆はあまり聞かない。

いい悪いでなく、不思議でしかたない!
誰かー!』

ふふふ・・・改めて見ると頭悪そうな問いかけですね(笑)

そうしたらおもしろい意見が集まってきました。

男女の行動パターン(重要視するもの)の違い?

いやいやなんと

消す男性
消さない奥さんをお持ちの男性
そして私は消さないぜ、な女性が書き込んでくださいました。

男女のネットへの書き込み、もしくは発言の違い?

そもそもこのGoogle検索の結果、主語が女性(の怒り)ばかりなのは正しいのかな?
男性は書き込んだりしないものだったりして。
女性は不満だと口にする、誰かに聞いてほしくなる、という性質があるのかな?

そんな事も考えました。

イメージとしては発言小町、Yahoo!知恵袋では女性の意見が集まりやすく、Twitter、2ch系は男性の意見が集まりやすいイメージがあるのだけど、このイメージ自体合ってるのかしら??
そうなってくるとこの検索結果はこの件ではまったくあてにならないのかな?

そもそもそれって男女という性別の違いの話?
女性は気になる、男性は気にならない、だからそもそも特に不満に思ってない??

男女は関係なく、なにかの習慣の違い?

トイレといえば、和式か洋式かの違いのように、何か違いがあるのかな?と。

電気の消し方が部屋の入り口のスイッチなのか、それとも電気の下にある紐なのか・・・。

いや、それは関係あるのか??

Facebookへの書き込みから発展した仮説

いや〜、いろんな人の事例を聞くのはおもしろい!

俺は消すぜ、私は消すぜ、嫁が消さないぜ、が入り交じったコメントとなったのですが、さっくり数えて

男性8:女性5が「消さないぜ!」

もちろん書き込まれてない人も「あ〜・・・消さないわ」と思いながら見てる人がいると思うので、数字としては参考にはなりませんが。

そんな数字よりもおもしろかったのは、傾向として男女云々というより
家にいる時間が長い人、長くない人、または自営業など、日常の電気のあるところの使い方で違いが見えてきた事です。

ここでちょっと見えてきた仮説。
もしや電気『つけるものか』『消すものか』という前提の違いが影響しているのでは?というもの。

ちなみに派生型に
ドアは開いてるものか、閉まってるものか。
トイレの蓋は開いているものか、閉まっているものか、があります。

話がズレました。

つまり男女、性別の違いが問題ではない、のではないかと。

旦那さん、奥さん、どちらが電気のついていない家に帰る事が多いか、これが前提にかかわってきているのではないでしょうか。

家を出入りする事が多くて、かつ先に帰る人は家の電気は『消えて』います。
だから『つける』。

家の電気は『消えてるもの』。
だから『つけるもの』。

そうではなくて、家に後から帰ってくる人。
もしくは家で仕事をする事が多い人。

こういった人の家の電気は『ついて』います。
ついているところに帰ってきます。
寝るとき以外『消す』ことを意識する事は少ないです。

なので家の電気は『ついているもの』。

電気くらい消しなよ!
だらしない!
前も言ったじゃん!

ではなくて、
この前提の違いがあるから電気は『ついている』のです。

叱っても何度言っても前提が違ってるからダメダメ。
『消す』を重要視していない人は、人がいなくても『消えている』ものと思ってないのですから。
悪い事ではないんです。だから残念ながら、きっと次の日も消し忘れています。

省エネの観点から、こまめに消そうよ・・・という意見もあるとは思いますが、実は電気関連のものは起動時が一番電力を食います。
もしかするとつけっぱなしの方がいい事だってあるかも?

ただし、各ご家庭の環境次第です。
つまりそれすらも前提次第。

いや〜、おもしろい!!

ちゃんと前提も含めて、相手の事を知らないと、お互いどっちが合っているという事もない。
つまりコミュニケーションで解決、落としどころを見つけられそうな気がします。

さいごに

何事にも聞こえない声はあります。
でも、出した声、聞こえた声が『一般的に』を作っていく。

つまり『大きな声』がすべてではない事。
『声にならない声』もあるということを、こんな素朴な疑問から改めて思い知りました。

聞こえた声は本当かい?
聞こえてない声もあるんじゃないかい?

そうやって考えるためにも、仮説は大事。
検証も大事。

他の人の意見、視点を聞くって大事。

まぁ、ただ近い友人の声しか聞いてないので
類は友を呼ぶということわざもあるとおり、この意見すら偏ってるかもしれませんけどね。

余談ですが、この電気消さない問題を人感センサーで回避しているおうちがチラホラ。
おもしろかったのが、お子さんが『電気は自動で消えるものだ』という前提を持って育ってしまったので、現在は人感センサーを切ってしまったと。

トイレを流さない。
(自動で流れるものだと思ってた)
和式トイレでびっくりする。
(洋式が今は一般的?)
ガラスのドアの前で立ち尽くす。
(自動ドアかと思った)
雪国の電車のドアがボタン式でビビる。
(ほら、冬は雪が入ってくるから)

本当に、テクノロジーが発展するといろんな『前提』が変わってきますよね。

理解できない人、わかり合えない人、などは単純に『前提』が違うだけかもしれませんよ。

自分の意見、常識、前提を押し付けるのではなく、相手を理解する、わかり合うためのコミュニケーション。
とっていきたいですね。